何だか久しぶりになってしまいました。
所属する団体の方針として、団体や活動に関わる内容を個人的に投稿することは禁止されているため、なかなか書けずにいました。
個人的な備忘録として、2020年の動きだけ残しておこうと思います。
ネパールで最初の新型コロナウイルス症例が見つかったのは、1月29日(2例目は3月29日)。
2020年3月22日金曜日の夜、ネパール政府から「3月22日から全国ロックダウン・国際線停止」と発表がされました。
同じ週に東京事務所から「ロックダウンが決定された国では駐在員を帰国させる」と方針が決められたところでした。
急いで上司や支部長に連絡を取り、マネジメント総出で21日の航空券をオンラインで探してもらいました。
ようやくエア・インディアで残っていたたった1席を予約、急いで荷詰めをして朝6時に空港へ向かいました。
ニューデリーで9時間のトランジットがあったものの、当時はインドでも日本でもPCR検査結果を求められるといったこともなく、無事に本邦退避。
まさか、そのまま2020年は戻れなくなるとは思いもしませんでした。
事業地では、首都圏よりも先に新型コロナウイルスのアウトブレイクが起こってしまい、日本で立ち上げたファンドレイジングを使って、いくつかの小規模な緊急支援をしました。
本来の事業は、ロックダウンのために3か月間一切活動を実施できませんでした。
全国のロックダウンが解除されたのは2020年7月後半。
その後、2020年のネパール国内での感染拡大ピークは10月後半~11月前半だったものの、経済的情勢からロックダウンは実施されず。
国際線運航再開やドナーからの渡航強化等々の条件をクリアして他NGO団体が10月頃から再ネパール赴任して行く中、就労ビザが4月に切れてしまっていた私は、観光ビザで入国する必要がありました。
観光ビザを取得するにも複数省庁からの許可証が必要であり、2020年中に再渡航することはできませんでした。
一時帰国中に東京事務所に出勤したのは5回程度。
いつネパール渡航ができるとも分からない中、実家に居座って在宅勤務を続け、文字通りの上げ膳据え膳という、ある意味では優雅な生活を8カ月も過ごしました。
でも、さすがにもう二度といいかな。
唯一良かったことは、シーズンを通して野球中継を見続けられたこと。
大の野球ファンです。笑
結局、2021年の正月まで日本で過ごすことになりました。
所属する団体の方針として、団体や活動に関わる内容を個人的に投稿することは禁止されているため、なかなか書けずにいました。
個人的な備忘録として、2020年の動きだけ残しておこうと思います。
ネパールで最初の新型コロナウイルス症例が見つかったのは、1月29日(2例目は3月29日)。
2020年3月22日金曜日の夜、ネパール政府から「3月22日から全国ロックダウン・国際線停止」と発表がされました。
同じ週に東京事務所から「ロックダウンが決定された国では駐在員を帰国させる」と方針が決められたところでした。
急いで上司や支部長に連絡を取り、マネジメント総出で21日の航空券をオンラインで探してもらいました。
ようやくエア・インディアで残っていたたった1席を予約、急いで荷詰めをして朝6時に空港へ向かいました。
ニューデリーで9時間のトランジットがあったものの、当時はインドでも日本でもPCR検査結果を求められるといったこともなく、無事に本邦退避。
まさか、そのまま2020年は戻れなくなるとは思いもしませんでした。
事業地では、首都圏よりも先に新型コロナウイルスのアウトブレイクが起こってしまい、日本で立ち上げたファンドレイジングを使って、いくつかの小規模な緊急支援をしました。
本来の事業は、ロックダウンのために3か月間一切活動を実施できませんでした。
全国のロックダウンが解除されたのは2020年7月後半。
その後、2020年のネパール国内での感染拡大ピークは10月後半~11月前半だったものの、経済的情勢からロックダウンは実施されず。
国際線運航再開やドナーからの渡航強化等々の条件をクリアして他NGO団体が10月頃から再ネパール赴任して行く中、就労ビザが4月に切れてしまっていた私は、観光ビザで入国する必要がありました。
観光ビザを取得するにも複数省庁からの許可証が必要であり、2020年中に再渡航することはできませんでした。
一時帰国中に東京事務所に出勤したのは5回程度。
いつネパール渡航ができるとも分からない中、実家に居座って在宅勤務を続け、文字通りの上げ膳据え膳という、ある意味では優雅な生活を8カ月も過ごしました。
でも、さすがにもう二度といいかな。
唯一良かったことは、シーズンを通して野球中継を見続けられたこと。
大の野球ファンです。笑
結局、2021年の正月まで日本で過ごすことになりました。